作曲家のパウロ・セーザル・ピニェイロは、1975年に歌手クラーラ・ヌーネス(1942年~1983年)と結婚したとき、すでに数曲を書いていた。彼はマンゲイレンセで、クラーラはポルテレンセだった。ある日、クラーラはパウロに、ポルテーラについて歌ってアルバムを録音するためにサンバを作曲するように頼みました。
パウロ・セーザル・ピニェイロはクアドラ・ダ・ポルテーラを訪れ、青と白の衣装を着た受胎の聖母像に感銘を受けました。彼はすでにポルテレンセのマウロ・ドゥアルテ(1930年~1989年)とサンバを共演していたので、サンバのアイデアをマウロに持ち込みました。パウロは、聖人に代表される神聖なものと、カーニバルに代表される俗なものを融合させたいと考えました。(注;キリスト教の観点から見ると、カーニバルは冒涜的な祭りです。)それからパウロとマウロは、聖人のために作られた行列や、エスコーラ・デ・サンバのデスフィーレでについて考えました。そこからサンバ「Portela na avenida」が生まれました。