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Vivo isolado do mundo

アルシデス・ディアス・ローペス (1909-1987) はパウロ・ダ・ポルテーラの良き友人であり、1926 年に他の友人たちとともにコンジュント・カルナバレスコ・オズワルド・クルスを設立しました。コンジュントは後にポルテーラになりました。
アルシデスはいくつものサンバの歌詞を暗記していたため、アルシデスにはアルシデス・マランドロ・ヒストリコ(歴史者マランドロ)というあだ名が付けられました。  
もし彼が歌詞を忘れても思い出せるように、パウロ・ダ・ポルテーラはラジオ番組やショー、レコーディングにいつも連れて行きました。  
アルシデスは 1950 年代までのほぼすべてのポルテーラのパレードに参加しました。  
1970 年にパウリーニョ・ ダ ・ヴィオラがポルテーラのヴェーリャ・ グアルダを設立した時、アルシデスをメンバーとして招待しました。  
アルシデスは鉄道員として懸命に働き、その給料で家族を養っていましたが、その作業は非常に危険で、汚く、重労働でした。  
彼の妻、ギオマール・ダ・シルバ・ローペス(1912-1977)は、最も困難な時期に彼を支えました。  
1947 年、アルシデスは 20 年間の勤務を終えて退職すると、サンバ「Vivo isolado do Mundo」を作曲しました。このサンバの歌詞は、まだ貧しかったにもかかわらず、妻から与えられた愛に対する感謝の気持ちを表現したものでした。  
ギオマールもポルテレンセでしたので、ポルテーラのいくつものアーラでパレードを行いました。
その話を僕が初めて見つけました。 
リライト:小宮
写真:左にパウロ・ダ・ポルテーラ、35歳。アウシデス、26歳でした。場所はRádio Nacional。真ん中、アウシデス、80年代のときに。右、ギオマール、29歳。1941年のポルテーラのデスフィーレのファンタジアでした。
「Vivo isolado do Mundo」は、カンデイアのレコード『Axé!Gente amiga do samba』(1978年、WEA録音会社)に収録されています。曲サイドAのトラック3にあります。
歌うはカンデイアとマナセーアです。
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