1945年のエスコーラ・デ・サンバのパレードはバスコ・ ダ ・ガーマ フットボール スタジアムで開催されました。
第二次世界大戦のため、ブラジル政府はイベントを屋内で開催したいと考えました。しかし、2つのエスコーラ・デ・サンバのメンバーの間で喧嘩が発生し、1 人が死亡、数十人が重傷を負いました。事件の詳細は新聞に掲載され、エスコーラ・デ・サンバのイメージは大きく傷つきました。
サンバ歌手同士の喧嘩によるイメージ低下を懸念したパウロ・ダ・ポルテーラは、運を失うサンバ歌手を描いたサンバ『Este mundo é uma roleta』を作曲したと言われています。この物語はカンデーイアとモナールコによって語られました。 しかし、カンデーイアとモナールコは間違っていました。
1945年のパレードで喧嘩があったのは間違いありませんが、サンバ「Este mundo é uma roleta」はパウロ・ダ・ポルテーラが作曲したものではありませんでした。 1926年1927年の新聞を読んだところ、この曲はマシーシェだったことがわかりました。
名前は「O mundo é uma roleta」。1926年に作曲され、1927年にオデオン録音会社によって録音されました。
著者はマノエル・ディアス。
新聞では、パウロ・ダ・ポルテーラ作と言われているサンバによく似たマシーシェの歌詞を読むことができます。
かつてジャイール・ド・カヴァキーニョが、「パウロがサンバを歌っていたことを、多くの人が覚えている。」とコメントしたのを覚えています。
しかし、多くの人はパウロが歌ったサンバが、本当に彼のものなのかどうかを注意深く確認しませんでした。
こういった確認不足による間違いは時折あることです。
今回の件でもおそらくそれが起こったのでしょう。
その話を僕が初めて見つけました。
テキスト:簀戸マルセロ
リライト:小宮