ニュースポルテ―ラ

Sentimentos

1945年初頭、世界はまだ戦争状態にあり、ブラジルはイタリアに大軍を派遣し、米軍とともにナチスと戦っていました。
ブラジルでは、お金持ちの息子は戦争に行かず、裕福ではない若者たちがヨーロッパの戦いに駆り出されました。ポルテレンセを含む何人ものサンビスタも例外ではありませんでした。 
何人もブラジルに戻りませんでした。彼らはイタリアで死にました。ですから、オズワルド・クルス区には悲しみのムードが漂っていました。
しかし、ジェトゥリオ・ヴァルガス政府は、国民に戦争への協力を促し続けなければなりませんでした。ブラジル人を高揚させる役割を担っていた報道宣伝局は、戦争の弊害を語る歌を禁止しました。
その頃、ポルテレンセの作曲家、ボニファシオ・ジョゼ・デ・アンドラーデ(ミジーニャとして知られる)が、とても美しいサンバを書いていました。ミジーニャは、有名なポルテーラの作曲家、マナセーアとアニセトの弟です。そのサンバは悲しいメロディを持ち、戦争による住民の感情を反映していました。
しかし、ミジーニャはそれを扱った歌詞を書くことができませんでした。そこで彼は、愛する女性に好かれていないことを知ったサンビスタの悲しみを描いた歌詞を書きました。こうして1945年、現在もサンバ界で広く歌われているサンバ「Sentimentos」が誕生しました。
リライト:小宮
NervosAco1
NervosAco2
このサンバは、1973年(Odeon録音会社)にパウリーニョ・ダ・ヴィオラのレコード「Nervos de Aço」に初めて収録されました。曲サイドAのトラック1にあります。
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