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Ditado certo

1948年、モナルコは15歳で、すでに2年間オズワルド・クルス区に住んでいました。 母親は家で洗濯をしたり、食事を作ったりする仕事のかたわら、ラジオを聴いていました。ラジオから流れる歌はモナルコに大きな影響を与えました。 
モナルコの子どもの頃の話で、こんなエピソードがあります。音楽が好きだったモナルコですが、お金がなくて楽器が買えませんでした。 そこで彼は板に針金をつけて、これが自分のカヴァキーニョだと言いました。 オズワルド・クルス区に住む前の幼い頃のお話です。
15歳のモナルコはすでにポルテーラで、パレードを守るロープを持ってパレードをしていました。 彼は時間があるとポルテーラのテヘイロに行き、サンビスタ達がサンバを作るのを遠くから眺めていました。 その頃、ポルテーラのために初めてサンバを作曲しました。 そのサンバは 「Ditado certo」と呼ばれ、嫉妬に狂った人々の陰謀によって恋人を失ったサンビスタの物語でした。 モナルコは幼い頃、母親のラジオで聴いたサンバの歌詞だけでなく、ポルテーラにも影響を受けました。しかし、彼は長い間、これがポルテーラのために作曲した最初のサンバであることを隠していました。なぜでしょうか? それは、モナルコ自身、このサンバが好きではなかったからです。 結局、作曲してから数十年後に真実を語りました。 
ポルテーラの作曲家アーラがこの若いサンビスタに注目し始めたのは、この「Ditado certo」がきっかけでした。モナルコはこの日以降、ポルテーラのために多くのサンバを書くことになります。
リライト:小宮
SuricaCD1
SuricaCD-2
このサンバは、2004年、フィーナ・フロール録音会社のCD「Tia Surica」の10曲目に、スリカとモナルコの歌唱で初めて収録されました。
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